吉田「穂高登山その一」
8月14日 仕事を終え、予め家から持ってきたザックの点検を済ませ、
glamを後にし、YCATへ向う。
行き先は憧れの穂高。
漫画の岳や、富士登山ブームなど、昨今のブームに乗った訳ではなく( ̄∇ ̄+)
僕が25くらいまではこう見えて、登山好きで、
冬山なんかもちょっとかじったりもしてました。
僕が登山を始めたのは、弟がカナダ人の友人と登山行く様になり、その影響を受けてでした。
今からもう16、7年も前の話です。
八ヶ岳や金峰山など、アプローチの優しい山には行けるものの、車の運転が嫌いな事や、
休みもまとまっては中々取れない事もあり、北アルプスや南アルプスには中々行けずに、
穂高は憧れるだけでした。
いずれは!と思いながらも、段々そのうち山から足が遠のいて行ってしまい、
「そう言えば登山好きだったなぁ」みたいな感じなってました。
3年前に社員旅行で上高地へ行った時、スタッフの一人(藤田)が、
「吉田さん、オレ、あの山に登ってみたいっす」と言ってたのが穂高。
そこから火がついて、色々低山から登りだして、さあ!って言う時には、
仕事もバタバタで行けず、またメンバーも集まらず。
その内僕は釣りにハマりだし、
穂高登山の話も何となく流れてしまって今年まで来ました。
その間にも八ツや金峰山などにはちょこちょこ行ってはいたのですが。。。。
ことろが世間では山ガールなる人種が現れたり、
若くて可愛い女の子達が山に現れてると言うじゃないですか!?
周りにもいつの間にか登山をする人間が増え始め、
何気に募ってみた「今年の夏は穂高へ!」という呼びかけに、
反応してくる人間がチラホラいて、ビックリ。
いろんなスケジュールの奇跡が重なり、今井君と片桐君の3人で
8月15日~17日で穂高縦走が決まりました。
この2人は何を隠そう僕のカットスクールの卒業生で、
2人とも5期生のクラスメイトで、今でも親交のある美容師仲間です。
苦楽を共にして、同じ時間を過ごした事で友情が生まれると言うけど、
それに近い感状が、スクールの受講生達の間にはあると思います。
2人とも忙しくサロンを経営していて、趣味に使える時間は限られているので、
スケジュールが合ったのは、本当奇跡でした。
今井君は千葉から、片桐君は名古屋からそれぞれ車で入り、
車の運転嫌いな僕は横浜から上高地までの夜行バスで、
15日の朝の6時頃に上高地のバスターミナルで合流しました。
予定では今日の昼過ぎに涸沢ヒュッテまで入り一泊。
そして翌日ザイテングラードを登って、穂高岳山荘まで行き、荷物を置いて空身で北穂高岳までピストン(往復)、3日目に奥穂高岳に登り、そのまま前穂高岳を踏んで、重太郎新道で上高地に降りてくると言うスケジュールでした。
かなりゆとりを持って組んだ予定だったのですが、なかなか予定通りにはね(笑)
結局全員が涸沢に着いたのは、予定よりちょい遅れてでしたが、まあ問題ない。
受付して、着替えて外で一杯やろうと思っていると、今日ず~っと空で音がしていた県警のヘリが、近づいてきます。
やがてヒュッテのヘリポートに着陸。
暫くしてまた北穂と涸沢岳の間の稜線直下をかなりきわどい位置迄近づいて、何やら作業をしている。
そして一旦飛んでいって、違うヘリがやって来て、また同じ様に作業をしている。
そしてそのヘリが降りて来て、ヒュッテのポートに降りて来た。
中から人が数人降りて来て、オレンジ色の映画とかで見るナイロン製の袋が運び出されてくる。。。。
数日前に遭難して、中々収容できずにいた遺体だそうです。
到着して間もない僕らを待っていたのは、明日僕らが行くコースでの遭難者の、遺体収容現場でした。
「あれは北穂と涸沢岳の間で、結構危ないんだよ」
双眼鏡で稜線を見てたオッサンが、物知り顔でつぶやく。
「今、あそこにまだ2人いるよ。」
オッサンは得意げに僕らに話しかけてきます。
ヘリは間もなくその現場で待っている救助の人を収容に向かって飛び立っっていきました。
あとには何も変わらない山々がそこにたたずんでいます。
事故があろうが何だろうが、山には関係ないと言わんばかりに。
僕らは明日への期待と不安とが入り交じって、変な興奮状態になっていました。
山の夜は早く、夕食も17時です。
お疲れモード?(笑)
今日の事、明日の事食事しながらいろいろ話します。
三歩がいました( ̄∇ ̄+)
夕闇に包まれ始める涸沢
夜の涸沢テント場。
色とりどりのテントの下で、明日の事を考え、中々眠れないだろうなぁ。。。
僕らもなかなか眠れず、夜中にまた出てみると月が綺麗。
明日晴れてくれると言いなぁ。
そんな事を考えてると、明日への不安も少し忘れられる。
ちなみに回収された遺体はきっとこの人だろうと思います。
ぼちぼちこうか「遭難事故」
このお爺さんとお孫さんの事故じゃない方が、
きっとこの日僕らが見た遺体の方だったんじゃないかと思います。
お爺さんとお孫さんの事故も悲しい事故でしたが、
この方の家族も心の底から悲しんでいる事と思います。
なくなった方々のご冥福をお祈り致します。
2日目編にに続きます