「報告」
細かい報告は後ほど。
今回沢山の方の協力のもと石巻へ行かせて頂き、思った事を書かせて頂きます。
まず沢山の方々のご協力に心より感謝し致します。
そしてその気持は鮎川の皆さんにしっかり伝わったと思います。
その上で、ちゃんと書かないいけないと思った事があります。
鮎川の皆さんは、とても元気で明るく、僕らを暖かく受け入れてくれ、
僕らは食事もお酒も一緒に皆さんと頂き、沢山の貴重なお話を聞かせて頂きました。
今回の一番も目的のお寿司を避難所の皆さんへ食べてもらうという部分では、
約400人くらいの人へ、7貫ずつの寿司折りを作りました。
「ボランティアだからこのくらいでいいだろ」というのではなく、おいしい寿司を食べてもらいたい。
そう言う思いから、集った食材は、全て僕から見ても美味そうな物ばかりでした。
1日目はぼくも仕込みからシャリ炊きから、軍艦作り、
あげくの果てには握りまでやりました。
弟、僕にさかなやK君とK君の後輩(2人ともこの避難所で当初過ごしていた)
の4人でやってたんですが、とても間に合いそうもなく、
オバちゃん達も手伝ってくれて、気づけば10人くらいで流れ作業が完成していました。
3つのコミュニティーがあり、それぞれ80〜150くらいの人がいます。
また各家に戻っている方々もいて、ハッキリ覚えていませんが、
350〜400人前の寿司をみんなで作りました。
現地では勿論震災後初の寿司です。
3つのコミュニティーはそれぞれあまり仲が良くないという話も聞いていましたが、
お寿司が届いた時は、歓声があちこちから上がっていたと、運んだ人がおしえてくれました。
正直きが遠くなる様な作業でしたが、そう言う報告が力になり、
「あと100!」って言う風に、気合入れながらや ってました。
最初は手伝う気もなく、知らん顔していた現地のお寿司屋さんの方も、
「こんなにやってくれてるのに、じっとしてられなくて」
と途中からにぎりを手伝いに来てくれたり、1時頃から始めて、
最後にのこったこの鮎川集会所(さかなやK君がいた避難所)
の文が大皿で6皿握り終わったのが7時半。
みんな「うま〜い!」って喜んでくれて僕も自分で握ったトロ食ってみたら
「ヤバい!美味い!(爆)」
寿司屋になろうかって、本気で思いました(爆)
みんなで寿司を食べ、ビールを飲み、遅くまで話をしました。
よくボランティアは自己完結であるべきだと言いますが、
テントはって食事は自分達は別で、自己完結で終わらせるのがあるべき姿。
よくそういうことが書かれているし、
たしかにそう言う部分は持っていないといけないかもしれないけど、
そうやって壁を作っている内は、本当の被災地の方々の事は解らないんじゃないかなって思います。
その中に入って、一緒に同じ物を食べ、
同じお酒を飲んで初めて色々話してくれる事があった様に思います。
その間にも他のボランティアの方がきて、
クリームシチューやカレーを置いていったりもしています。
でもシチューに入っていた大根が腐っていて、食べれなかったり、
(大体大根は入れないと思うが。。。)
カレーには肉が入っていなく、代わりに厚揚げが入っていたり、
ちょっと疑問に思う事が沢山ありました。
被災地の方がは今、生きるのに精一杯という状態ではありません。
最初の1週間は何でも良いから物資が必要だった時期があると思います。
でも今は普通に生活をしています。
必要なのは、僕らがいらない物ではないんです。
食べたい物は、何でも良いからとりあえず食べれれば言い訳ではないんです。
鮎川の皆さんは、ボランティアから頂いた物だから悪くさせてはいけないと、
期限のある物から食べる様にしている様で、
決して本当に食べたい物を食べている訳ではないんです。
自衛隊からの支援物資のおにぎりを、僕らも分けて頂き食べさせてもらいました。
コンビニでこれを買って食べたら、文句を言いに行くくらい美味しくないです。
でも、折角頂いた物だからムダにしたくないと、被災地ではそれから食べます。
バナナを貰えば、悪くなる前に食べなきゃって、たべます。
翌朝リーダー格のKさんは(弟のブログ仲間のさかなやK君は別人)
「ワタシは昨日のお寿司の残りを食べるから、
君はおにぎり食べなさい(笑)」と弟におにぎりをくれた。
お寿司食べながら「これで寿命が一年伸びたよ」よ笑ってました。
善意って何だろうって考えさせられます。
厚揚げの入ったカレーや腐った大根が入ったシチューをもって
一生懸命被災地を回る人達もいます。
勿論悪気もないだろうし、善意からの行動だと思います。
一生懸命やった結果がたまたまかもしれません。
でも彼等は自分で食べるカレーには厚揚げではなく、肉が入っている筈です。
自分の使い古しの下着を送る人もいます。
でも自分が他人の下着をはきたいとは思わないはずです。
自分が貰って嬉しいか?
もう
そう言う事を考えて支援をしないといけない時期だと思います
それは贅沢だ!
って言える人は、あそこへ行ってみて下さい。
ライフラインが断たれて、
瓦礫の中からプロパンを捜して来てガスを使える様にし
ひっくり返った車のタンクから、ツルハシでガソリンタンクに穴をあけ
ガソリンをを抜き取って車を動かせる様にし、食料や水さえなく
販売機を壊して中のもので喉の乾きをしのぎ、電気が通ったって言っては喜び
水道が通ったって言っては喜び、瓦礫を焼いて水をわかし
ポリタンクでシャワーを作って身体を洗ったり
そう言う中でやっと物資が揃って来たけど、
せっかく頂いたおにぎりやカレーが悪くなるといけないからって、
食べたい物じゃなく、足の速い物から食べる鮎川に人達の優しさ。
女川や石巻港周辺には、有名人が沢山来てますが、鮎川の集会所には誰も来ません。
※石原軍団や藤原紀香
近くの綺麗な避難所(鮎川のせいゆう館というところ)には渡辺謙が来ましたが、
鮎川集会所には誰も来ません。
でもみんな元気で明るくて、素敵な方々ばかりでした。
改めて、支援のあるべき形は時と共に変わるべきだし、
自己完結型が必ずしも良いとは言えないと思います。
今後も何らかの形で支援出来るようにありたいと思います。
だからまず自分達がちゃんと儲けないといけない。
なんかとりとめのない日記になってしまってすいません。
僕にとっては凄く良い経験になりました。
勉強にもなりました。
皆さんから預かった寄付金ですが、色々考えた末、
次回以降の支援に使わせて頂く事にしました。
お金を渡して云々と言うなら多分何百万という単位でしょう。
でも喜んで貰う事は考えれば幾らでもあると思います。
次回以降のそう言う企画に使わせて頂きたいと思います。
九州のみなさん
お客様のみなさん
物資を送って頂いたマイミクの皆さん
gのスタッフのみんな
みんなの思いはしっかり届いたと思います。
詳しくはまた書きます。
楽しい事も沢山ありました。
カットも沢山してきました。
でも今日はこの辺。
全ての人に感謝します。